2007年6月30日土曜日

アルバムから蘇った思い出

私が20代の頃のアルバムを見る機会がありました。子供達はアルバムを見ながら、今現在の私と盛んに比較をしている。体型は勿論、今とは全く違い、もっとスリムな私が写っている。パパイヤ鈴木さんと、同じ様な髪型の私の姿を見つけた時は少なからず、衝撃を受けたようです。ページをめくって行くと、可愛い女の子の写真が数枚・・・・・・・。「父さん、この女の子は・・・・・」と。結婚前、その手の写真は全て処分したはずだが、残っていたのですね。(敢て残していたのではありません)一気にMちゃんの記憶が蘇る。以前の勤務先で人事異動でMちゃんの居る部署へ。お互いに第一印象は良くなかった。暫くして、通勤用の送迎バスに乗り遅れた、Mちゃんを駅まで渋々、送っていた事が切っ掛けになり、仕事以外の個人的な事に付いても話すようになった。しかし、その頃は別の女の子に私の関心は90%向いており、恋愛の対象としての関心は無かった。その後も終業時、送迎バスに乗り遅れることが度々あり、その都度、私が駅まで・・ということがあり内心、面倒な奴だと、思うこともありました。そんなことが、繰り返されるうちに、終業後のお茶はMちゃんと・・という図式が成立するようになりました。終業後の連絡方法は「ゴミ箱」でした。勿論、今のように携帯というような便利な物はありません。お互いの机の横にはゴミ箱が置いてあり、小さな紙切れに用件を書き、相手が使うゴミ箱に放り込むというものでした。時々、「バカ!!」と書かれたことありましたが・・・。この方法は、お別れが、来るまで、誰にもバレませんでした。お茶や、食事に行ったり、お休みにはあちらこちらに遊びに出掛けたりたり、家にも来たことが何度かありました。出会いがあれば別れがあるものです。人事異動で配属された部署にどうしても馴染めなかった私は退職という選択肢を選んだのです。退職し、他社での勤務が始まっても、お互いに連絡を取り合って時々会っていました。でも、矢張り、徐々に疎遠になり、結果的にはお互いに別々の道を歩く事になったのです。でも、その当時、私の硬い意思と決断力があれば配偶者は違う人になっていたかも知れません。Wifeと知り合う2年前の出来事でした。Mちゃんの面影は24歳で止まっています。今はもう、オジサン、オバサンと呼ばれる年代です。会ってみたいと気持ち・・・少しあります。

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