さて、先回は「下痢で南方戦線・・・免れた」まで書きました。
戦地から復員し、職場に復帰。
家族の生活を助ける為に遊びなどする余裕など、無く働き通し。
本家は裕福なので、従兄弟は旧制中学から進んだ、大学の
農学部の学生・・・。
羨ましいと言う気持ちは余りなかったそうです。
父親の父親・・・つまり私の祖父は大酒飲みで道楽者なので、
長男でありながら跡目は取れなかったそうです。
オマケに父親が13歳の時に亡くなっている
(本家とは折り合いは良くなかったそうです)
母と結婚してからも、働くことしか知らずに働き通し・・・・。
定年後、暫くは窓枠を作る会社でアルバイトをしながら陶芸を
始める。最初の楽しみを見付けた様です。
歳が進みアルバイトは止め、畑仕事と陶芸三昧の毎日。
内心、良くもマァ、「毎日出来るものだと感心したこと」が何度か
あります。
一昨年(2006年10月)に母親が認知症で、入院そして介護施設
への入居後は母屋で一人で暮らすようになった。
母親とは決して仲むつまじい方ではなく、お互いに45度顔を背け
て暮らしてきた。
しかし、どことなく、毎日が落ち込んでいる様子。
そんな中、母親への面会をも兼ねて、施設のデイサービスの利用
を思い立った。
デイサービス時、母親と暮らす時間を設けて頂いていますが、時々
一寸した口論があったり、お互いに世話をしていると聞いています。
口論は介護職員方々は「夫婦げんかですね」と見守り・・・。
また、今までやった事のない、ゲーム、トランプ、習字、何とか運動、
外出での施設見学、行楽施設、公園など、興味があることばかり。
今まで、働く事しか知らなかった、父親は新しい楽しみ、生き甲斐を
見付けた様です。
--- 完 ---
1 件のコメント:
初めまして、秋桜です。
SNSでお見かけし、このブログをご紹介いただきました。メールしようか?と、考えましたが、ここにコメントさせて下さい。
私の父母とSituationがよく似ています。
私の亡き父も、病魔に倒れた母を介護する時が、一番楽しかったと、言い残して、逝きました。母は今年で23年床に臥せっています。既に、私を認識してくれません。淋しい限りです。厳しい、優しい、父母でしたが、今となっては、後悔しか残っておりません。
父母どおしは、熱烈な恋愛で、一緒になったようです。すみません。私事でした。
駄文をお許し下さいませ。m(__)m
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